
第一歌集の『サラダ記念日』に始まり、2025年発売の『生きる言葉』まで話題作を発表し続ける俵万智さん。デビュー当時の思い出から近況まで余すところなく足跡を辿るスペシャルインタビュー!!ファンはもちろん、初めての読者も必読です!
取材・文/ヤングジャンプ編集部
撮影/松田嵩範 ヘアメイク/萩村千紗子
プロフィール
俵万智
1962年12月31日生まれ。歌人。1986年「八月の朝」で角川短歌賞を受賞。翌1987年に第一歌集『サラダ記念日』を発行。以降、2023年には第七歌集『アボカドの種』が刊行されるなど現在に至るまで歌を詠み続けている。その他、『あなたと読む恋の歌百首』『生きる言葉』など著書多数。
◆俵万智さんの原点
――短歌との出会いを教えてください。
俵 学校で習った短歌はやや古めかしくて、自分が作るのとは結びつかなかったんですね。大学生になって佐佐木(幸綱)先生の授業を受けて面白かったので先生の歌集を読んでみて、毎週話を聞いている先生の生きている姿がここにあるって感じがした。現代短歌はこんな風に表現手段としてもあるんだって思って、こういうのだったら作ってみたいと思ったのが最初です。
――佐佐木先生が40年以上続く短歌に出会うきっかけだったのですね。人生に影響を与えるような出会いを引き寄せるコツはありますか。
俵 出会いを大事にするのはすごく大きなことだと思いますね。早稲田の教室でも200人ぐらいの学生が佐佐木先生の授業を取ってるわけなんですけれども、その200人が全員先生に手紙を書いて短歌を作り始めているわけではないですよね。出会いっていうのは本当に偶然なんだけれども、それを偶然で終わらせるか自分にとっての必然に変えるかは自分次第かなっていうのは思ってますね。
――他の人がしていない中で先生に手紙を送る際に躊躇はあったのでしょうか。
俵 他の人がどうっていうのはあまり考えてなくて。ただ、好都合なことに私、先生に憧れるのが割と多いパターン。先生に憧れるのはおすすめなんですよ。なぜかというと先生は拒否できない。恋愛で言えば失恋する心配がない。先生は生徒を受け止めるっていう大前提がありますよね。先生も絶対嬉しいはずだしね、自分のジャンルのことに興味を持ってくれる次の世代がいるっていうことは。だから先生おすすめ。
――ありがとうございます。短歌を作ってみたいと思われてからは何をされたのでしょうか。
俵 その先生が主宰している「心の花」っていう短歌の会に入る勇気はなくて、どうしようかと思ってた時に雑誌の公募短歌館というコーナーに一首送ってみたら塚本邦雄さんっていう前衛短歌の巨匠が採ってくれたんです。それで勇気を得て「心の花」に入った。(公募短歌館に送ったのは)「手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛」。当時佐佐木先生に書きまくってたように手紙が好きだったので、手紙の歌でしたね。
――歌が高く評価されたことをきっかけに短歌にのめり込まれたのでしょうか。
俵 そうですね。自分の作ったものが活字になって嬉しいなっていうのもありましたし、 認められたことで背中を押されて本格的に勉強しようと思った感じはありますね。
――1987年刊行の『サラダ記念日』をはじめ、現在に至るまで短歌を発表され続けています。短歌の魅力はどのような点にあるのでしょうか。
俵 言葉が好きで、何か言葉で表現したいっていう気持ちはずっとあったんです。大学生になって文学サークルを見たんですけれど、そこにいる人は書きたいことがあってすごいなぁと圧倒されて、自分はまだ何もないなと思ってサークルに入れなかった。何を書きたいかも分からないしインプットする時期かと思ってたんですけど、短歌に出会ってからはそれこそ自分が好きだから手紙のことを書けば短歌ができる。なんでもないことが歌になるのが新鮮だったし、嬉しかったし、特別な経験をした人じゃなくても作れるのが短歌の素晴らしいところですね。
――『サラダ記念日』の巻末で、佐佐木先生は、口語かつ定型にはまっている点や失恋の歌なのに明るい点が新しいと言われていました。意図的に今までの短歌と違う作り方をされたのでしょうか。
俵 いや、そんな意図は特になく。自分にとっては自然であるのがすごく大事かなと思って、だから古い言葉を使うよりも自分が日常で使っている言葉の方が自分の日常を書くには使い勝手がいいなとか、口語の方がしっくりくるよねとか。失恋の歌も、私は悲しければ悲しいほどそれだけ悲しいと思えるような人に出会えた証かなって思ったりするんですよね。フラれて辛ければ辛いほどその恋愛には重みがあったことの裏返しだろうなって思って作ってるからあまり暗くならないのかもしれない。
――短歌は日常生活から作る方が多いのでしょうか。
俵 もちろんそうじゃない作り方の人もたくさんいるんですけれど。例えば中城ふみ子は『乳房喪失』という歌集で乳がんになった体験とか大変な恋愛沙汰とかをドラマチックに表現しました。寺山修司だったら歌の中で勝手にお母さん殺しちゃったりとか(笑)。色んなタイプの歌の作り方はあるんですけれど、私にとっては日常を受け止めてくれる形としての短歌が一番魅力的に思ったってことかな。
◆ライフステージに伴う短歌への影響。「サラダ記念日」誕生秘話も!?
――第四歌集『プーさんの鼻』以降ではお子さんの歌も詠まれています。お子さんが産まれる前後で歌に変化はありましたか。
俵 恋の歌はそのままじゃ人様に届けるものにならないので、盛り付けを工夫したり、ソースかけたり、お皿を変えたりしてやっと出せる感じがある。でも子育ての歌は刺身で出せる、むしろその方がいいっていうのは変わったかもしれないです。子育てって「あっ」という感動が上書きされていくんですよね。子供って月齢で数えるでしょ。それは1ヶ月前とは別の生き物になってるからなんです。その変化の速さを捉えないと感動を忘れちゃうんですよね。初めて立ったとか歩いたとかめっちゃ驚くけど、そのうちスタスタ走ってても追いかけるだけになっちゃうから。初めての時の驚きは生け捕りにしてどんどん歌にしていく方がよりリアルでビビットな歌になる。そういう意味では作り方は少し変わったと思います。
――子育てに関して、エッセイなどで遊びをさせてよかったと書かれています。勉強と遊びで学べるものはどのような違いがあると思われますか。
俵 違いというか、両輪だと思うんですよね。自然の中で、これなんだろうと思ったり不思議に思ったりすることを論理的に実感できるのが机の上の勉強。海から吹く風を浴びたことがある人が陸と海の温度の下がり方が違うから風が吹くんだっていうようなこと。海で遊んで風を感じたことのある子がそれを勉強するのと、理屈で勉強するのってちょっと違うと思うんですよね。その両方はすごく大事だと思う。ただ机の上の勉強は大人になってもいくらでもできるけど、自然の中で何かを感じるっていうのはなかなか大人になってからはできないから子供にはそっちをメインにさせてやりたいなと思いましたね。
――『未来のサイズ』ではセウォル号を題材にした歌を詠まれており、あとがきでは「子育てを通して、社会のありようへの関心を深めた」と書かれていました。お子さんが産まれてから社会への視線はどのように変化したのでしょうか。
俵 本当に自分に無関係のニュースとかなくなる。 申し訳ないけど、40歳まで都会の真ん中で自分で稼いで一人暮らししてる時は自立してると思ってたし、ぶっちゃけ地球あと50年持てばいいかなって。それぐらいのスパンでしか考えられなかったんですよ。子供が生まれると、その子供が将来大人になるまでの時間も考えるし、自分がそれを見届けられないから不安でもありますよね。子供にまた子供が生まれたとしたら、その先100年、200年ってどうなっていくのかってすごくリアルなこととして思われてくるので、新聞のニュースを見てても教育のことにしても、温暖化のことにしても、政治のことにしても、無関係と思うニュースがなくなりますよね。必然的に社会に対する関心っていうのは高まる。子供がいなくてもそれぐらい高めろよっていうことは自分に突っ込んでおきますけれども(笑)
――最近もニュースはご覧になっているのでしょうか。
俵 そうですね。関心を持つものが増えてきました。でも社会への関心を詠むのが難しいのは、ただなんとか反対とかって言うとスローガンとか新聞の見出しみたいになっちゃう。セウォル号の時は自分が高校の教員だったっていう強い思いがあったから詠めたかなと思うんですね。だからそうやって接点がきっちり見えるものを作品化していければと思います。
――話は変わりますが、「恋の歌はそのままじゃ人様に届けるものにならない」について詳しく教えてください。
俵 恋ってロマンチックだったり小道具も素敵だったりした方が気持ちが伝わるんですよね。サラダ記念日の歌(「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日)もサラダじゃなくて鶏の唐揚げだったんですけど、鶏の唐揚げじゃなんかなーと。ちょっとしたものが美味しかったから記念日って気持ちはあって、そのちょっとしたものを何にするかは変えられる。7月6日でもなかったわけですけど、サラダのSと響かせて7月6日。七夕のドンピシャじゃなくて前日なのは、恋人同士の記念日が七夕だと普通になっちゃう。なんでもない日を記念日と思ってるアホさ加減はドンピシャじゃない方が強調されるっていうことですよね。なんでもない日まで記念日にしちゃうのが恋の恐ろしい力。
――細部までこだわりが詰まっているのですね。作歌の際はテクニックも考えられているのでしょうか。
俵 考えてます、考えてます。そこは考えてる。短歌って言葉100%でできている表現ですからいかに言葉を魅力的に使うかとか、定型となじませるかとか、届く言葉に仕上げていくかはシビアに考えている。言葉がすごく好きですし、それが楽しいからだと思うんですけれども。
――「届く言葉に仕上げていく」について詳しく伺いたいのですが、詠みたいものと読者からの印象はどちらを優先してますか。
俵 どちらもだと思う。自分が詠みたくないものを人に読ませるのも失礼だし、人に読ませることばかり考えてもいいものにならないと思うんですよね。まず自分が詠みたいって思えないと。その上で人が読んで面白いものにする目も持つことは大事ですよね。
◆角川短歌賞受賞から40年の現在地。変わるものと変わらないものは。
――最新歌集『アボカドの種』では変化はありましたか。
俵 人生のいい部分を歌にしたいっていうのが基本的な考えだったんですけど、高齢の母のサポートをしてるとイライラしたり視野が狭くなったりしてしまって、『アボカドの種』になって初めて黒い歌も詠んでしまった。それを歌集にまとめる時は落とそうかなと。こんなものが届いても嬉しくないのではって思ったんですよ。でも編集の人から、俵さんでもこんな黒い歌を詠むと思ったら励まされます、むしろ残してほしいって言われて。例えば「切り札のように出される死のカード 私も一枚持っているけど」。(母は)「私はもう先がないから」とか切り札のように死ぬ死ぬ言うんだけれど、全員がいつかは死ぬわけで、その切り札私も持ってるなと心の中で思ってしまった時の歌です。それを言語化してもらえて嬉しいっていう感想はありました。そういう歌にも人は励まされるし共感もするっていうことは、やっと気づいた感じがあります。黒いことを考えてしまった時に、はっとしたり、ちょっと落ち込んだりっていうことはみんなあると思うんですよね。
――『サラダ記念日』から40周年を迎えて、その時でなければ詠めなかったと感じる歌はありますか。
俵 10代20代の感覚は詠んどいてよかった。「なんでもない会話 なんでもない笑顔 なんでもないからふるさとが好き」とか。初めてふるさとを離れた10代20代じゃないと持てない感覚ですよね。あとは「思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花」とか。こんな手放しな歌、今はちょっと恥ずかしくて詠めないかなとか思ったりします。この前10代20代の人を相手に授業をする番組を撮った時、10代20代の人はサラダ記念日を読んで分かるのかなと思ったんですよ。で、読んでもらったら「母の住む国から降ってくる雪のような淋しさ 東京にいる」とかに共感したっていう意見が多くて。そういう歌は時代とは関係なく世代なんだなと思ったんですよね。
――変化する部分がある一方で、一貫して恋の歌を詠まれてもいます。俵さんにとっての「恋」とはどのようなものでしょうか。
俵 2人として同じ人はいないし、自分とその人が出会うことで化学反応が起きるのが恋愛だと思うんですよね。それは自分自身を変えることになるし、時間が豊かになる感覚はあるな。恋は落とし穴に落ちるように落ちてしまうので、もうそれを楽しんだほうがいいよって思います。ただの好きと恋とどう違うかっていうと、ただの好きは理由が挙げられるんですよ。話してて面白いとか顔がタイプとか理由が分かるんですけど、恋はなぜ惹かれてるか分からない。むしろ嫌なところがあるのになぜか惹かれるっていうのが恋だと思うんです。あとはデートに誘われた時に河原でおにぎりでもいいかなって思える人と行きます。店によって断ったり断らなかったりっていう人はまだ恋ではないですね。
――恋は落ちるものとのことですが、それを歌にする際は先ほど仰っていたように小道具を工夫されるなど客観視されている印象がありました。創作のうえで感情を描きつつ、そこから距離をとるためのコツはありますか。
俵 歌を作るというのは一旦落ち着こうかっていう感じはありますよね。この状況とか、自分がどういうことにウキウキしてるかとか、相手のどういうところにドキッとしたかっていうのを客観的に見る目を持つ時間はもたらしてくれると思いますね。
――短歌にしようとすることで距離を取れるということでしょうか。
俵 (短歌を作ることと距離をとることの)どっちが先かは分からないけど、夢中で楽しい時は歌なんか作ってられないわっていう感じもあるかもしれないし、何か不穏なことがあったりとか、自分でもあれって思ったりする時、その隙間みたいなものを埋めるように言葉が入ってくる感じもあるかもしれないですね。
――2025年に出された『生きる言葉』の中で短歌に留まらずAIやラップなど多岐にわたるお話をされていました。最近新たに興味を持たれた分野はありますか。
俵 ボディービルの言葉は面白かった。甥っ子が学生でボディービルをやってて、大会の応援に行ったら掛け声が素晴らしいんですよ。みんな創意工夫しまくってて「腹筋が板チョコ」とか「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい」とか。ボディービルの掛け声辞典があって買っちゃったんですけど、なんでそれほど感動したかっていうと、褒めて褒めて褒めまくる。とにかくみんな褒めまくる。それが壇上にいる学生さんを励ますっていう。全肯定を浴びせているんですよね。言葉で鼓舞するっていうかな。誹謗中傷とは真逆の、これこそ言葉の本来の使い方ではないだろうかと思って、素晴らしかったですね。思いがけない拾い物をしたな。
――最後に、今振り返って俵様が短歌で生計を立て続けるほどの成果を出すことができたのはなぜか教えてください。
俵 運が良かった。本当にそうだね、運が良かったとしか。最初の歌集(『サラダ記念日』)がすごくたくさんの人に読んでもらえて、歌人として認知してもらった。で、歌人という肩書きでエッセイを書いたり選をしたり。でも今も短歌の原稿料とか歌集の印税で食べてるわけではないっていうことは割とシビアにあります。逆にそれは短歌のいいところで、短歌は幸か不幸か原稿料では食べていけないので、むしろ作品に関してはとことん自分の好きなようにはできる。だから短歌は職業とか趣味とかでもなく、自分が生きていることと並行してあるっていう感じですね。別に誰に頼まれることもなく作って、作りたいものを作るっていう一番自由な領域かもしれないですね。