
安彦良和さんの新連載『銀色の路―半田銀山異聞―』を記念して、五十嵐大介さんとの対談が実現! お二人は互いの作品に刺激を受けつつも、初対面! 安彦さんは筆、五十嵐さんはボールペン1本で、どんな複雑な構図も、生き生きとした自然物も生み出されます。そんな超絶画力のお二人に、絵について存分に語り合っていただきました。

プロフィール
安彦良和(やすひこ よしかず):
1947年北海道生まれ。虫プロに入社。その後、『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナー兼アニメーションディレクターをはじめ数々のヒット作に携わる。その後、漫画家に転身してから『アリオン』『虹色のトロツキー』『乾と巽 ーザバイカル戦記ー』など歴史を題材とした作品に精力的に取り組み、YJ14号より新連載を連載中。
五十嵐大介(いがらし だいすけ):
1969年埼玉県生まれ。「月刊アフタヌーン」にて四季大賞を受賞しデビュー。その後岩手県に移住し、2002年『リトル・フォレスト』を連載開始。後に実写映画化。代表作に『魔女』(文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞)、アニメ映画化された『海獣の子供』などがある。現在、『BE・LOVE』で『かまくらBAKE猫倶楽部』を連載中。
安彦さんの絵で人体を学んだ
――安彦さんと五十嵐さんは、今日が初対面ですよね。
五十嵐 はい。中学生の頃に憧れていた存在だったので、こうやってお会いするとその頃に戻ってしまいます。当時は『機動戦士ガンダム』のサントラ盤に安彦さんの描きおろしポスターが付いてくるというので、それ目当てにレコードを買ったりしていました。それまでアニメーションで安彦先生のようなタッチを見たことがなくて、衝撃で。とにかく絵が好きで、『アリオン』とか夢中になって読みました。キャラクターのリアルさとマンガ的デフォルメのバランスがよくて、線にスピードが乗って生き生きしていて。人間の体ってこうなっているんだと気付かされたというか、安彦先生の絵を見て、人体のことを学んだマンガ家は多いと思います。
安彦 何を仰いますやら。僕はアニメーションをやっていたわりに他のアニメのことが分かってないし、マンガ家のわりに他を知らないんです。ただ、(担当編集の)大野さんから「絵が上手いと感じている方で、誰かと対談しませんか?」と言われ、五十嵐さんの名前を挙げさせてもらいました。『リトル・フォレスト』を連載当時、偶然目にし、色々と衝撃を受けたんですよ。まず自然描写。普通なら面倒くさくて投げ出してしまうような茂みの中の木立まで描いちゃう。それに、女の子の感性が鋭く描かれているので、女性作家だと思った。けど、名前を見たら大介だから、どう考えても男だよなって。あと、ボールペンで原稿を描くっていうのも驚いた。ボールペンを使ってるってことは、消しゴムが使えない訳でしょ?
五十嵐 下描きは鉛筆です。『リトル・フォレスト』を描いていた頃、岩手の山奥に住んでいたので、ボールペンはどこでも手に入るゲルインキのを使っていて。意外と消しゴムをかけても大丈夫なんです。
安彦 五十嵐さんが出た『浦沢直樹の漫勉』の中で浦沢さんが言っていましたが、空気感を描くのが上手いですよね。それに、僕なんかは感情を表す背景処理とかのマンガ的な記号をわりと使っちゃうんだけど、五十嵐さんはそれもほとんど使わないで全部描くでしょ。
五十嵐 逆に、僕はそういったものの使い方がよく分かっていなくて。使えたらいいなと思っているんですけどね。
安彦 五十嵐さんは、もうずっとアシスタントは使っていない?
五十嵐 基本的にはいないですね。ただ、それこそ消しゴムをかけてもらったり、ベタを塗ってくれる人は一人います。
安彦 そこは同じ。僕もアシスタントはトーンを貼ってくれる息子だけなんです。筆だから手伝ってもらいようがないんですよね。
五十嵐 私もそういう感じです。
安彦 五十嵐さんの絵は、背景とキャラの一体感もありますもんね。背景をアシスタントに任せたり、CGを使ったり、それはそれでいいんだけど、分離が起きちゃってるなと感じる絵もあるんです。ところが五十嵐さんの絵は、そういう所から遠いところにあって、それがいいんですよね。
五十嵐 一体感というと、それこそ安彦先生から受けた影響が大きいんじゃないかと思います。
安彦 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を描くことになった時、スペースコロニーとかは筆じゃ描けないと思って、最初ミリペンで背景を描いてみたんです。そうしたら、背景がよそよそしくてイヤになっちゃって、何といわれようと全部筆で描いちゃおうと。何とかなるものですね(笑)。
生き生きとした動きを描く
五十嵐 安彦さんは、どうして筆を使うようになったんですか?
安彦 子どもの頃からマンガ家に憧れて、マンガはペンで描くものだとはぼんやり知っていたんですけど、あんな硬いもので絵は描けないよと感じていました。虫プロの先輩だった村野守美さんの柔らかい絵が好きで、マンガ家には何か秘密兵器があるに違いないと思っていました。『宇宙戦艦ヤマト』のスタッフだった時、松本零士さんの仕事場に設定用の原稿を取りに行って、ペンが使えないという話をしたら、「筆もあるよ」と教えてもらったんです。それがヒントになりました
五十嵐 そうだったんですね。
安彦 それから削用筆を使いだしたんですけど、値段のわりにすぐダメになる。それから安い中国の筆を見つけて、今もそれを使っています。
五十嵐 筆は頻繁に替えますか?
安彦 やっぱり筆先が割れてきますからね。32ページ描くのに2,3本消費します。五十嵐さんは、ボールペン以外を試してみようと思ったことはありますか?
五十嵐 『リトル・フォレスト』の時は全部ボールペンだったのですが、今は柔らかいタイプの丸ペンで主線を描いて、ボールペンで描き込んでいます。柔らかい丸ペンなので、少ししなるんです。
安彦 へぇ、丸ペンが。
五十嵐 それで、だいぶラクになりました。ボールペンは全くしならないので、肩や首が痛くなっちゃうんです。
安彦 五十嵐さんは大胆にペンを入れますよね、見ていて怖くなるくらい。「最後はいい絵になる」という確信がある訳でしょ? その自信が凄いなと思います。
五十嵐 自信はないです。自信がないことには自信があるぐらい。それを言ったら、安彦さんは複雑な構図もあまりアタリをつけないで描かれますよね。とても真似できないです。
安彦 アニメーターは数を描かなきゃいけなかったから。いちいちアタリを取っていたら仕事にならないんです。ただ、筆を入れる時は、失敗しちゃいけねぇなと。
五十嵐 その集中と緊張が、線のハリというか、人物の生身感として出ている気がします。
安彦 人物というと、五十嵐さんは人間を描くとき表情から描くでしょ。僕も目、厳密には眉毛から描く。ところで、視力はいいですか?
五十嵐 何年か前に体を壊して、その時に悪くなっちゃったんですけど、元々はすごくいいです。両目2.0ありました。
安彦 やっぱり。僕は初めて視力を測った時から1.0を切っていて、世界がボヤっとしてるんです。本人から聞いたんですけど、大友克洋はやたら目がいいらしくて。「見えているから、精密な機械とかを描くんだな」とすごく納得したんです。見えると、「よし、描いちゃえ」ってなりますか?
五十嵐 そうなのかもしれないですね…。見えているものを描くというのが基本だと思いますので。
安彦 資料は見ます?
五十嵐 見ます。細かいところまで描き込む時は図鑑とかを参考にして、動きは基本的に自分の頭の中で膨らませて。
安彦 『海獣の子供』の魚にはまいりました。ヒレの動かし方とか、こんなの図鑑を見たって描けねぇよって。水族館には相当行きました? 美ら海水族館(沖縄)のジンベエザメを思い出しながら読んだんですけど。
五十嵐 かなり行きました。『海獣の子供』に出てくるジンベエザメは、まさに美ら海のを参考にしています。
安彦 水族館、見てて飽きないですよね。
五十嵐 飽きないです。その気分を描きたいと思って描いています。
安彦 五十嵐さんは、魚も、鳥も、動きを理解して描いている。この人は動きが全部分かっている人なんだって。それがすごいですよ。
『海獣の子供』第1巻より。それぞれの魚の動き一つ一つが五十嵐さんの手により生み出されている。
© 五十嵐大介/小学館
――昨年、兵庫県立美術館で『描く人、安彦良和』を見ましたが、安彦さんの動物の描写も素晴らしいです。
安彦 馬の絵はよく褒めて頂くんですけど、何のことはない、飼っていたんです。北海道の田舎だったこともあって、僕が子供の頃はどの家にも家畜馬がいて、その世話は子供の仕事。だから、馬の骨格や足の運び方は分かるんです。
五十嵐 飼っていたからと言って、描けるものではないと思います。それこそ、安彦先生は、どんなアクションも、どんな角度からでも描けちゃう気がしますけど。
安彦 僕は運動神経が悪いんです。よく、「運動神経の悪い奴でも、アニメーターになればスポーツ万能になれるよ」って言うんです。ただ、五十嵐さんは、泳げるでしょ? ダイビングとかはどうですか?
五十嵐 泳ぎも得意って訳じゃないですし、ダイビングはやったことないです。
安彦 えぇ!? 泳いでいるシーンの伸びやかな動きを見て、この人はイルカのように泳ぐんだろうと!
五十嵐 泳げるといいんですけど、海は怖いです。海の中を描くときは森の中のイメージを海に変える感じが強いです。岩手ではツキノワグマとかを360度警戒しながら歩かなきゃいけない時があったので、その時の感じていたような気分を海に置き換えています。
安彦 さんざん言っておきながら僕はカナヅチで、25メートル泳ぐのがやっと。だけど、泳ぎを描けと言われたら、バタフライから何から描けます。動きを描くのは楽しいですよね。
五十嵐 そうですね。日常シーンはウソがつけないので、アクションを描く方がラクです。
安彦 アクションはウソが描けますから。「動きを描くのは難しい」という人は多いですけど、最初に体の軸だなんだっていうところから入ってるからじゃないかな。キャラクターを表情や目から描くと、感情が入って「よし、やったろうじゃない!」って気になりますから。
『アリオン』第1巻より。躍動感溢れる動きが随所に現れる。
© 安彦良和『アリオン①』中公文庫コミック版
刺激を受けた自然環境
五十嵐 安彦さんは徹夜しますか?
安彦 一晩を無駄にした気がして悲しくなるのでしないです。五十嵐さんは1日12時間働いてたって? 今も?
五十嵐 体を壊してやめました。以前は、大音量で歌いながら仕事をしたりして。
安彦 ちょっと鬼気迫るものがありますね。それは岩手の時?
五十嵐 そうです。
安彦 今の鎌倉は?
五十嵐 住宅街の中なので。
安彦 僕は鎌倉は行ったことがないんですよ。ずっと埼玉。まさか、こんなに長く所沢にいるとは思わなかった。
五十嵐 所沢は仕事の都合ですか?
安彦 一時練馬に居たんですけど、子どもができて風呂つきのアパートを借りたいと思ったのと、山が見えないのが嫌で。
五十嵐 分かります。
安彦 50年近く前の話ですけど、所沢にマンションと称するアパートを見に行った時、管理人さんが3階に住んでいて、そこからは山が見えたんです。よし、ここにしよう!と思って引っ越したら、僕が借りた2階からは山が見えなかった(笑)。
――山がある北海道の景色が、作画に与えた影響は大きいですか?
安彦 アニメの話なんだけど、アニメーターが原図を描いて、それを背景さんが仕上げるんですね。その原図を見て、腹が立つことがよくあったんです。みんなパースラインを引いて、碁盤の目みたいな所に家とかを描く。そんな平らなクソ面白くない土地がどこにあるんだって。
五十嵐 私もパースは取らないです。住む場所の周辺環境は大事ですよね。岩手から戻ってきた時、北千住に住みました。街自体は面白くて、良い所だったのですが、風で大きな木が揺れる時のザーッという音がない。それが物足りなくて、鎌倉に移った感じはあります。
――おふたりの作品には聖なるものが出てくるイメージがあります。安彦さんはそれこそ神話を描かれていますし、五十嵐さんは人ならざるものの気配も描かれる。その辺りも伺いたいです。
五十嵐 私は伝統芸能が好きで、色んな人が信じてきたものに触れる機会が多かったんですね。そういうものを大切にする気持ちはあったほうがいいなと思いますし、見えないものに興味があって、それを描きたい気持ちがあるので、そことも繋がっているのかな。
安彦 僕はその辺鈍いんです。五十嵐さんは浦和出身なので、都市で育ってるんですよね。
五十嵐 そうなんですけど、調神社という古い神社があって、街中にあるんですけど樹齢何百年の木が茂っていて、そこでぼんやり過ごすのが好きでした。
安彦 大宮氷川神社には行きましたか?
五十嵐 ちょっと遠いですけど、テリトリー内でした。
安彦 僕も一度行ったけど、あそこは本当に古くて、神社が出来た当時は見沼って大きな沼があったそうです。たぶん昔はいいロケーションだったんだろうな。
五十嵐 そう思います。
安彦 取材も兼ねて神社には随分行きましたし、好きだなと思うけど、霊的なところに惹かれるというのはないんです。むしろ、自分にとっての神話は歴史の延長です。神話の時代に生きた人の営みに想像を巡らせるのが面白くて。それは、『アリオン』の頃からそうでした。
――たしかに、みな血肉の通った神さまでした。
安彦 アイヌやオホーツク人の時代までいけば別だけど、北海道には明治以降の150年ぐらいしか歴史がないというのもあります。一方で、出雲も奈良も紀元前からみんなが見てきた景色がある訳じゃないですか。だから、山の辺の道(奈良にある古道)なんかをいつも歩いている子たちは、僕が感じないものを感じ取っていたりするんだろうなというコンプレックスがある。それには及ばないけど、取材先でいいロケーションに巡り合えると、それを描きたいなというのはありますね。
五里霧中で描く面白さ
――新連載ですが、舞台は福島の銀山ですよね。
安彦 僕の曽祖父が福島の鉱山で働いていたんです。
――『乾と巽 ーザバイカル戦記ー』の最終巻には、「これが最後の連載」とありました。
安彦 あの時はそのつもりでした。だけど、描きおろしのつもりで単行本1冊分ならやってみてもいいかなと思ったんです。まあでも、先は読めないからなぁ。
五十嵐 そうですよね。『海獣の子供』も全2巻ぐらいと思っていたら全5巻になりました。
安彦 先は読めないけど、32ページと言われたら、とりあえず1ページ目の扉を描くんです。すると、2,3ページ目が浮かんでくる。その調子で半分過ぎると、何となく引きが見えてくるんです。
五十嵐 私もそれに近いかもしれないです。細かいプロットが作れないので、小ネタと大まかな展開しか最初用意していないです。
安彦 この間、同業者にそんな様子を話したらその人も同じ流儀でやってて、「霧の中という感じなんですね」って言われて、上手いこと言うなと思った。五里霧中という感じに近いかもしれません。ただ、それは悪いことはではなく、先が見え過ぎないほうが良いと思うんですよね。
YJ それにしても凄いのは、安彦さんは事前のメモ等なくいきなり下書きから始めて、毎回指定したページ数ピッタリに下書きを描かれるんですよね。
安彦 テレビアニメをやっていた頃、長いシナリオをどうにか20分ちょっとに収めて絵コンテを切るんですね。そこで随分鍛えられたのかもしれない。こういう五里霧中の進め方ってリスキーですが、喜びもあるんです。「今回も何とかなった。俺って天才かも」みたいな(笑)。
――五十嵐さんは先々で描いてみたいテーマとかありますか?
五十嵐 言葉にすると小難しくなっちゃうんですけど、マンガってすごく意図とか意味で出来ていますが、そうじゃないものを描きたいというのがあります。さらに、それをエンタメでやりたいんです。
――安彦さんはいかがですか?
安彦 僕は幸か不幸か、これからという時間がもうほぼないので、そういう意味では気楽ですね。
――とはいえ、今回新作も始められましたし、短期集中連載やアニメなどの可能性もあるのではないでしょうか。
安彦 やれる体力と意欲があれば、そこを封じる必要はないので、機会があればやるだろうと思います。一時期、「アニメはもうやらない」とか言っていたんだけど、最近あんまり意地になることもないかなと。しかし、昔の年寄りって、もうちょっと年寄りっぽい風格があった気がするんですよね。そういう点では、自分は年寄り失格だなと思います。
五十嵐 私も大人の男になりたいと思ったりしますけど、難しいですね。今日も安彦さんにお会いして、中学生に戻っちゃいましたから(笑)。
取材・文/山脇麻生
撮影/松田嵩範