第1回 大沢在昌「鮫と龍のエンタメ論」

第1回 大沢在昌
文・構成:タカザワケンジ / 撮影:石川耕三

第1回 大沢在昌
鮫と龍のエンタメ論

「小説」と「漫画」、「物語」という同じ土壌に生まれ、異なる育ち方をした二つの表現は、時に相愛し、時に反目し、そして時に交じり合いながら私たちの営みを彩る。有名小説家が「漫画」をめぐって言葉を紡ぐ特別企画。
第1回はハードボイルドミステリーの大家、大沢在昌先生が登場。小説家としての実績は勿論のこと、ヤングジャンプ誌上で『黄龍の耳』の連載を行い、漫画原作賞の選考委員も務めるなど、漫画界への造詣も深い大沢先生が語る「エンターテインメント論」とは――。

 

大沢在昌(おおさわ・ありまさ)

1956年生。愛知県出身。
1979年『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞を受賞しデビュー。
1991年『新宿鮫』で第12回吉川英治文学新人賞と第44回日本推理作家協会賞長編部門受賞。
1994年『新宿鮫 無間人形』で 第110回直木賞を受賞。
2010年に推理小説の発展に大きく貢献した作家・評論家に贈られる「日本ミステリー文学大賞」を受賞。ほかに著書多数。漫画作品としても1992年~1996年まで「ヤングジャンプ」にて連載された『黄龍の耳』(全15巻)のほか、多くの漫画原作・コミカライズ作品がある。

 

★漫画原作の経験が生きた『新宿鮫』

──大沢さんは『新宿鮫』などベストセラーになった小説が数多くコミカライズされています。しかも1990年代には小説版とメディアミックスした『黄龍の耳』(画・井上紀良)を週刊ヤングジャンプに長期連載されていましたね。

大沢 『黄龍の耳』は「ジャンプJブックス」というライト・ノベルのレーベルが立ち上がったときに、「『ジャンプ』の読者が面白いと思う小説を何か考えてください」と編集者から言われたのがきっかけだったんだ。

──小説が先だったんですね。漫画化されることも意識されたんですよね。

大沢 それもあったから、まず考えたのはどういう主人公にするかということ。読者が若い男だから、憧れるのは金と女が思いのままということだろうと。自分だってそうだったしね(笑)。でも、最初からそれじゃつまらない。封印を解かなければその力が発揮できないという縛りを入れよう。そんな感じでキャラクターをつくった。あとは見せ方だよね。キャラクターをつくったら、そのキャラをどう見せるか。その演出は考えたね。

大沢在昌氏

──主人公の棗希郎衛門は古代中国の皇帝の血を引く棗家の第45代当主。修道院で育ちますが、父の死で当主の座につくことになる。「黄龍の力」という力を持っていますが、ふだんは右耳に開いた穴をピアスでふさぐことで抑えているという設定です。そして、次々に現れる強力な敵たちと戦っていく。井上紀良さんの画の迫力もあってバトル・シーンがカッコよかった。

大沢 実は『黄龍の耳』の前にも漫画の原作を書いていたんだよ。4人集まって「M・A・T」という名義で。だから、『黄龍の耳』を漫画にするときにも、シナリオは「M・A・T」だったんだ(9巻から東板前二)。俺が自分でやるのは大変だし、原作小説とは別の人間がやったほうが広がりが出るから。
 そもそも作家デビューした出版元が双葉社で「漫画アクション」を出していたから、変名で「アクション」の別冊に私立探偵ものの読み切り短編の原作を書いたりしていたんだ。連載もしていたな。

──小説と漫画の違いはお感じになりましたか。

大沢 小説と漫画ではキャラクターの見せ方では全く違う。小説はじわじわでもいいけれど、漫画はとにかく登場の1発目でがっと読者をつかまなきゃだめだと。あとで気づいたことだけど、漫画のつくり方を勉強したことが、小説を書く上でもすごく勉強になった。
 でも、あのころは漫画の原作を小説家がやると、筆が荒れるからやめたほうがいいと言われていたんだよ。原作者が書くのはシナリオ。原稿用紙ペラ(200字)一枚が漫画1ページ分と言われていたので、小説に比べて書く量が少ない。それでそこそこいい原稿料をもらえるから、小説のほうがだめになると言われてね。でも自分の場合はすごく勉強になった。たとえば『新宿鮫』を書いたときに、読者をどう引っ張り込むか、主人公にどう思い入れを持たせるかという部分に生かせたと思う。

 

★漫画の世界を描いた『心では重すぎる』

──『黄龍の耳』は十五巻まで続くヒット作になりました。

大沢 「ヤンジャン」で人気1位だった時期がけっこう長かったからね。

──漫画の場合、小説と違って人気がある限り連載が続いていくという印象があります。

大沢 そうだね。人気があるキャラクターは続けて出そうとかね。だから、ある意味、物理的な作業だよね、だから、描くほうは相当すり減ると思うんだよ。だから原作者がいたほうが負担が減るっていう描き手もいると思う。
 あと、作家と編集者の関係が、小説と漫画では全然違うってよく言われるよね。漫画は編集者の介在する要素がすごく大きい。ほとんど共同作業だ。特に少年誌の場合は、ある意味、作家性が編集者によって方向づけされてる部分がある。その結果、大部数のヒット作が生まれているという実績はあるんだけど、大ヒット作の連載が終わるときに、その次の作品をどうするのかという問題がある。漫画家に任せるのか、やっぱり編集者が方向性を決めてヒット作と同じようなものを、ということになるのか。小説家と比べて漫画家はデビューが早いから、編集者主導になるのは仕方がないところもあるんだろうけど。小説家の場合は五十歳でデビューする人間がごろごろいるけど、漫画家が五十歳でデビューしても週刊誌連載なんかは体力的に無理だからね。そう考えると、その年齢で何本も連載を持っていた手塚治虫さんにしてもちばてつやさんにしても怪物だよね。

──若いときから漫画を描き始め、大ヒットする。漫画の世界ではそういうシンデレラ・ストーリーがしばしばあるわけですよね。

大沢 若い才能を見出して囲い込む、というやり方で漫画の世界は大きくなっていった。だけど、功罪あると思うね。20年近く前だけど『心では重すぎる』という小説で、かつて人気作品を描いた漫画家が失踪する話を書いたことがあるんだ。その漫画家は出版社の囲い込みシステムで作家性が歪められたという設定だった。あの時代、俺ほど漫画業界を知ってる小説家はいなかったから、そういう意味ではこれはもう俺しか書けないと思って書いた。だから漫画の世界を良いところも悪いところも含めて、思ったように書かせてもらった。いまはあのころよりももっとシビアで厳しい状況になっていると思うけどね。

大沢在昌氏

 

★コミカライズには注文をつけない

──大沢さんは、原作を手がける前から漫画を読んでたんですか。

大沢 もちろん読んでいた。子供のころはあまり読んでいなくて、一番漫画を読んだのは大学生のころ。「少年チャンピオン」の全盛期で、『がきデカ』や『マカロニほうれん荘』を連載で読んでいた。その後は山上たつひこの『喜劇新思想大系』を追いかけたり、『AKIRA』の大友克洋は『気分はもう戦争』から始まって、ずーっと追いかけていた。ああいうとんがった漫画家のものは書店で見つけることが多かったね。表紙だけ見て、不見転で買ってきたり。星野之宣も書店で初めて知った。そういう人のぽつっ、ぽつっとたまに出る単行本は完成度が高いからはずれがない。あとは『パタリロ!』が好きで「花とゆめ」をずっと読んでいた。最近は昔ほど読んでいないけど、『ダンジョン飯』はたまに読んでるよ。

──『黄龍の耳』以降は、コミカライズの申し込みがあったら検討して許可をするという感じでしょうか。

大沢 そうだね。申し込みが来たら、ああ、いいですよって。いままでノーって言ったことは1回もないかな。実はコミカライズに関してはあまり気にしてないんだ。注文をつけることもないしね。読んで違和感を持ったとしても、無意味だなと思うから。

──『雪人YUKITO』(作画・もんでんあきこ)は『北の狩人』が原作ですが、大胆に脚色していて漫画ならではの面白さを感じました。

大沢 原作を出してから15年くらいたっていたんだけど、もんでんさんがぜひ、ということでコミックにしてくれた。ありがたいよね。映画やテレビと同じで別物だと思っているから、漫画家さんが自分の描きたいように描いてもらうほうがいいと思う。

──漫画原作をまた手がけてみたいと思われますか。

大沢 やってみたいね。ただ、難しい時代だと思う。小説の世界でもそうなんだけど、バブル以降に物心がついた人たちとそれ以前の我々の世代だと、感動のツボにちょっとずれがあるんだよね。いまの漫画の読者はさらに若いわけだから、俺がつくったストーリーが果たして受けるのかなっていう気持ちはあるよ。何かきっかけになるものがあってやるんだったら、まだできるかもしれないけど。まあ、「ヤンジャン」から発注いただいたら、そのときは考えますけどね(笑)。

大沢在昌氏

 

★新刊『漂砂の塔』はどう書かれたか

──お話をうかがっていて、新刊の『漂砂の塔』がコミカライズされたらどうなるんだろう、と妄想してしまいました(笑)。近未来の二〇二二年。日中露の三国が共同でレアメタルを採掘している北方領土の島で殺人事件が起こります。東京からロシア語と中国語が堪能な刑事が単身、捜査に乗り込むという物語です。主人公の石上はロシアの血が入ったクォーターの色男ですが、ちょっとへたれなところもあって、新しいヒーロー像の誕生だと感じました。

大沢 三カ国語べらべらで、それで強かったらもうスーパーヒーローだから、女好きでへたれだけど、言葉だけはしゃべれる──そういうキャラクターでいくか、みたいな感じで書き始めた。スーパーヒーローみたいなキャラクターだと面白くない。というか、いつの時代の話だよ、みたいな冒険小説になっちゃう。へたれなんだけど、くそーっと唇かんで、金切り声上げて「負けないぞ!」みたいなほうがリアルでいいんじゃないの。

──たしかにそうですね。島の設定も絶妙で、北方領土という統治が曖昧な場所。石上は警察官ですが捜査権も逮捕権もない。武器も持たず丸腰です。

大沢 『パンドラ・アイランド』と『海と月の迷路』でも島を舞台にしていて、「島もの」と呼ばれているんだけど、そういう閉鎖状況の中で話を動かすのが好きなんだよね。

──工場の外には歓楽街があってロシア人が経営するナイトクラブがある。ボスのギルシュという男は登場時からだんだん存在感を増していきますね。

大沢 俺もあんなおいしいキャラになるとは思わなかったよ。「小説すばる」に連載していたから、途中からあれ、いいやつじゃん、と存在感が増していった。漫画原作と同じで小説を書くときにストーリーを細かく決めたりしないんだ。設定とキャラクターがあって、キャラが勝手に動き出してくれるとすごく楽。『漂砂の塔』は本当にいろいろなキャラが動いてくれた。主人公の石上も、最初はもうちょっとシリアスなキャラのはずだった。でも、途中から石上ってそういうキャラじゃないなっていう感じになってきた。意外とひょうきんだし、へたれだけどスケベ。キャラがそうなってくると当然語り口も軽い感じに変わってくる。勝手にそういうキャラになってくれたというところはあるかな。

──『漂砂の塔』はキャラクターが動き出した、という言葉がぴったりですね。いったいどうなるのか先が読めない。

大沢 そりゃまあ、書いてる人間が読めないんだもんね(笑)。

──そうだったんですね(笑)。

大沢 まあ、こういう話って、落とし込みっていうか、これしかないってわかったときに、すごくすっきり視界が開けると思うんだよ。その爽快感があったほうがいいと思ってはいるんだけど、それが読者にどこまで通じているかは正直わからない。そりゃあ小説家なんて、いつまでたっても自分が書いてるものが100%面白いなんて断言できないもんだけどね。思っているほうが逆に危ない。ちょっと不安を抱えながらも、面白くしよう、もっと面白くしようと書いていくものなんですよ。俺がやりたいのはエンターテインメントだから。だから、もしもこれから漫画原作をやるとしたら、やっぱり漫画でしかできないエンタメをめざすだろうね。

 

 

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