第2回 小川哲「ギャグと拳とディストピア」

第2回 小川哲
撮影:石川耕三

第2回 小川哲
ギャグと拳とディストピア

小説と漫画は、「物語」という同じ揺りかごに生まれた二卵性双生児である。
人気小説家が「漫画」を巡り、言葉を紡ぐ特別企画。第2回はデビュー作が「伊藤計劃の時代を終わらせた」と謳われたSF小説界のホープ、小川哲先生が登場。ジャンプ漫画が自作に与えた影響、SF小説とギャグ漫画の意外な共通点などを語ります。

 

小川哲(おがわ・さとし)

1986年生。千葉県出身。
2015年『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。
2017年『ゲームの王国』で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。
2018年「小説すばる」9月号より、19世紀の満州を舞台にした歴史スペクタクル『地図と拳』を好評連載中。

 

ディストピアと『HUNTER×HUNTER』

小川 僕が前作『ゲームの王国』を書くときにすごく考えたのは「過程を描く」ということだったんです。
 SF作家ってよく「人間を描くのが下手」と言われるんですけど、それってディストピアにしてもヴァーチャル世界にしても、多くのSF書きの興味が「システム」にあるからだと思うんです。システムがどうやって出来上がったかよりも、「こういうシステムがあったら世界はどうなるだろう」というほうを書く傾向が強い。過程を飛ばして「20XX年に核戦争が起きて世界は滅びました」というところから始めるようなイメージですね。一回更地にして、そこに新しいシステムを作る。そのシステムを描いていく。
でも、それってリアリティがないなって思ってしまうんです。少し前だったらまだ戦争体験が残っているから、例えばある日突然核が落ちて世界が滅びる、というところから始まる話も一定のリアリティを感じられたんだと思います。でも、戦後70年も経ってしまうと難しいんですよね。ずっと平和だから「劇的な何か」を想像しづらい。だから、僕は今ディストピアを書くなら過程が絶対に必要だって思うんです。
 一見平和に見えるこの世界がどうやってディストピアになっていくのかをある程度以上の説得力を持って描かないと読者は納得してくれないんじゃないかと。そうやって出来たのが『ゲームの王国』であり、今連載している『地図と拳』なんだと思います。
 それと、僕が小説を書くときにすごく気を付けていることとして、『HUNTER×HUNTER』のシステムがあります。バトルものの漫画って「勝ち方」で大きく二つに分けられると思っていて、一つは修行をして強くなって相手を殴って勝つ、というパターンと、修行はしないで知略を凝らして相手を凌駕して勝つ、というパターン。前者の代表は『DRAGON BALL』で、後者の代表は『ジョジョの奇妙な冒険』だと思っています。
 ところが『HUNTER×HUNTER』はその間にあって、修行をして強くなるんだけども強い奴はそれでも強いから知略も凝らして何とか勝つ、という風にできているんです。修行だけでもなく、知略だけでもなく、その両方を使って初めて局面が打開できるという作り方がすごく物語として参考になるな、って思っていて、自分の小説もそのように作ることを心掛けています。

小川哲氏

 

天才主人公と『アカギ』

小川 『ゲームの王国』について言えば主人公「ムイタック」のイメージは完全に『アカギ』ですね。なぜ『アカギ』かと言うと、あの作品は天才キャラクターの描き方に一つの正解を出していると思うんです。『ゲームの王国』の主人公もムイタックっていう農村に生まれた天才なんですけど、天才って視点人物にならないんですよ。天才である以上、共感はできませんから。『アカギ』では、各時代で必ず別のキャラクターが視点人物になるんです。天才ではなく凡人のキャラクターですよね。そのキャラクターがアカギを見て、「これがこうだからこうなるのか」と考えて、アカギはさらにその上を行く、ということをずっとやっている。そのシステムは意識しました。ムイタックは上巻の最後までは一度も視点人物にならなくて、上巻の最後で視点人物になるんです。
 それは決定的な敗北のシーンで、僕としてはそこが僕なりの『アカギ』システムとの決別というか、「天才が天才でなくなる瞬間」として描いています。

小川哲氏

 

雑誌連載と『すごいよ!マサルさん』

小川 作品への影響ということを抜きにして、単純に好きだった漫画というと「すごいよ!マサルさん」をはじめとする、うすた京介先生の作品ですね。
 小学校の低学年くらいだったかな、床屋さんの待ち時間に読んでそのままハマって全巻揃えました。それまで「コロコロ」とかで読んでいたのとは違う、いわゆるシュール・ナンセンス系のギャグとの邂逅の瞬間でしたね。「なんだこれ?」ってなって、何かが目覚めるんですよ。そのあとジャンプを読み始めて『武士沢レシーブ』とか短編集の『チクサクコール』とか、『ピューと吹くジャガー』は高校か大学のころでしたね。余談なんですけど、その後SFに入ってから改めて読むとうすた作品ってある種のSF作家と通じるところがあるんですよ、カート・ヴォネガット・Jrとか、特にブローディガン。うすた先生はブローディガンを読んでいるかもしれません。うすた先生の作品って主人公がよくわからない職業だったりするんですよね、『ピューと吹く!ジャガー』とかでも。ブローディガンも例えば『アメリカの鱒釣り』っていう作品では鱒を釣ってる人が主人公の普通あり得ない設定の作品があって、そういうところが似ているな、とか。今思えばSFに傾倒していったのも元はと言えばうすた京介作品のシュールな感じにハマったところからだったのかもしれません。
 あと、うすた先生の作品って思春期特有の自意識みたいなものをクリティカルに笑いにしてくれるので、キャラクターに救済されることもあるんですよね。みんな忘れているだけで絶対にこういうこと考えてたよな、とか、誰しもが抱えているものを思い出させて笑いという形で救済してくれる。そういう意味では一種の哲学でさえあると思っています。『マサルさん』は哲学です。本当に。
 でも最近ギャグ漫画って少ないですよね。僕が読んでいたころは雑誌文化が強かったので雑誌で読んでいるとストーリー漫画よりもギャグ漫画や一話完結の 連載を好んで読んでいた記憶があります。ストーリー物はそうやって読んでいくうちに新連載で始まったものを追っていくというような感じでした。今はギャグが時代に求められていない雰囲気もありますし、雑誌で力を発揮するジャンルなのに、雑誌自体が弱くなってしまっているという。売れてほしいんだけど、時代として売れなくなってしまっているんだと思います。
 それと関係した話だと、今回「小説すばる」で連載する『地図と拳』も、連載という形は初めてなんですけど、あまり雑誌でどう読まれるかということは意識しづらいですね。やはり単行本で読んでどう面白くするかという方向で考えます。雑誌だとよく「引き」って言いますけど、そもそも小説誌は月刊なので引きを作っても翌月までには忘れられちゃうんですよね。僕も小説の中で「引き」は作りますけど、それは雑誌読者というよりも単行本で読む人を意識していて、時間や空間を飛ばすときにこっちのことを気にしてもらえるようにとか、新章の退屈になりがちな説明の部分を引きを使って読んでもらったりとか、そういう風に使うことが多いです。

小川哲氏

 

建築家と『地図と拳』

小川 今回始まる『地図と拳』は、最初に編集さんに「建築家の話ってどうですか?」という話をもらって面白そうだな、と始めた企画なんですけど、まず「建築」っていうテーマにピンと来たのは、お話を作るということと「建築」に共通項が多いな、と思ったからなんです。伏線を仕込む作業って柱を作るイメージに近いし、プロットは建築における設計図ですよね。デザインに凝ったり住む人のことを考えてバリアフリーにしたりっていうのもお話における斬新さとか読みやすさと繋がる部分がある。さらに言えば「国を作る」って行為、つまり「システムができる過程」も土木工事をしたり建物を建てたり、「建築」っていう行為で成り立っているんですよね。「建築」って言葉としても概念としてもすごく強いなと感じて。物語の舞台は満州なんですけど、そこはロシアが作った建築物もあれば日本人のもの、そういうものをまねて中国人が作った建築も、いろいろな建築が今でも残っているんです。その建築物の中に当時の情勢とか人々の思いとかが出ているんですよ。
 時代としては日露戦争前夜から第2次世界大戦までの大体半世紀ぐらいの期間における満州という舞台を、「建築」というテーマの中で描いていけたらと思っています。

 

小川 哲『地図と拳』掲載!

小説すばる 7月号

小説すばる 7月号
表紙:ヨシタケシンスケ 発売日:2019.06.17

詳しくはこちら
小説すばる